中国磁器に魅了されたヨーロッパでは、王室が磁器の発展に大きな役割を果たします。ザクセン王国フリードリヒ・アウグスト1世は、磁器の製造を命じました。錬金術師ベドガーは、多くの試行錯誤の末、1709年ついに磁器の製造に成功します。その製法は、1710年マイセン王立磁器工場の設立により守られようとしましたが、マイセン創設からわずか10年でウィーンに伝わり、アウガルテンの前身、ウィーン窯が誕生しました。 さらにザクセンとプロシアの7年戦争の混乱で陶工が連れ去られ、創設されたのがKPM(王立ベルリン窯)。
1735年にはイタリアフィレンツェでカルロ・ジノリ侯爵がリチャードジノリを開設。 1756年、フランスに大立セーブル製陶所、1775年にはデンマークにロイヤルコペンハーゲンが誕生するなど、18世紀は各地で磁器窯の開窯がつづきました。こうしたヨーロッパ大陸の変化に遅れたのがイギリスでした。大陸と海を隔てた地理的条件に加え、カオリン鉱がなかなか発見されなかったこともあり、イギリスの陶工たちは磁土、陶石の不足を補うために、さまざまな工夫を凝らしていました。
そのひとつが動物の骨灰を原料に混ぜたボーンチャイナであります。この技法はすでに18世紀半ばに発明されていましたが、当時の製品は粗悪なもの。これを改良し、品質を高めたのがスポード(1770年創業)だったのです。ボーンチャイナの製品化でイギリス陶磁史に足跡を記したのは、ジョサイア・スポード2世です。温かみのある色合い、独特の硬さを持つボーンチャイナは、今ではイギリス製テーブルウェアの代名詞となっています。
<世界の主要な洋食器メーカー>
今でこそ私たちの生活にすっかりとけ込んでいる洋食器ですが、国産洋食器ができるのは明治中期のことです。時代は明治に入り、様々な文化が入ってきました。文化とともに産業も大きく変わっていきました。
その中のひとつに外国との貿易があります。日本の貿易商は様々な商品を輸出し、富をえていきます。そんな中、諸外国で使われる洋食器は今まで和食器中心の生活しか知らなかった日本人に強烈なインパクトを与えました。日本の陶磁器産業をもとに諸外国で使われる洋食器をつくりたい。ヨーロッパの磁器を越える洋食器をつくりたいという思いや貿易商品として洋食器に目を付けることは必然でした。
その先駆として、日本で初めてディナーセットを完成させたのは、日本陶器で、その後白磁への憧れ、外貨獲得の意味から名古屋製陶所など多くの陶磁器関係者が洋食器の生産を始めていくのです。
<日本の主要な洋食器メーカー>